伊藤拓郎は現在も野球を続けている!横浜DeNA戦力外後は独立リーグを経て社会人野球へ


高校一年生のときは大谷翔平選手よりも速い球を投げておりましたが、その後怪我の影響などで剛速球はなりを潜めた伊藤拓郎さん。
そんな伊藤拓郎さんが横浜DeNAでプロ野球選手になりましたが3年で戦力外通知を受けました。
だた、伊藤拓郎さんはそこで諦めず独立リーグに活躍の場を移し、現在では社会人野球で活躍されております。
そんな伊藤拓郎さんの現在の姿などを見てみましょう!まだまだ消えた天才とは言われたくないと思います!
 

 
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伊藤拓郎は現在も野球を続けている!現在は社会人野球で活躍中!

 
伊藤拓郎選手ですが高校1年のときは大谷翔平さんよりも速い球(1年生最速148キロ)を投げておりました。
それで注目されていたんですがいろいろあって、ドラフトでは9巡目で横浜DeNAに入団します。
プロに入っても目立った成績は残せずその後、3年で戦力外通告(クビ)になってしまいます。
そんな伊藤拓郎選手ですが現在も野球を続けているようで、現在は新日鐵住金鹿島の硬式野球部に所属しております。
社会人野球を続けているようですね。
 
 


野球を現役で続けられているのがわかるように引き締まった体をしておりますね。
 
 


という感じで活躍もされているようです。
このまま活躍を続ければいつの日かまた日本プロ野球の世界で伊藤拓郎選手の姿を見れる日が来るかもしれませんね。
伊藤拓郎選手が横浜DeNAを戦力外通告になった際に『絶対戻れるから。一緒に頑張ろう』と声をかけたアレックス・ラミレス現横浜DeNA監督の言葉が本当になる日も来るかもしれません。
というかこれで再度伊藤拓郎選手が横浜DeNAに入団したら色々あって泣けてきそうですよね。
現在の横浜DeNAの守護神である山崎康晃投手は伊藤拓郎選手と同じ高校で、伊藤拓郎選手がエースの座を山崎康晃選手から奪い取りましたが、プロの世界では逆転してます。
そんな二人がまた同じチームで野球をやるとなると、、、いろいろこみあげてきそうですね。
しかもそれを指揮するのがアレックス・ラミレス監督だったらもう言うことないような気がします。
 

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伊藤拓郎の横浜DeNAをクビになってから現在までの軌跡

 
伊藤拓郎選手はドラフト9巡目で横浜DeNAに指名され横浜DeNAでプロ野球選手になりました。
ただ、入団後もケガに悩み、プロ1年目の2012年に一軍で2試合の出場で終わり、3年目で戦力外通告をされております。
その後12球団合同のトライアウトを受験しましたが不合格に終わりましたが、そこに声をかけたのでその時元チームメイトで、当時は群馬ダイヤモンドペガサスのシニアアドバイザーに就任していたアレックス・ラミレス氏(現:横浜DeNA監督)。
その時のことを伊藤拓郎選手は

「連絡をもらって、直接会って話をした。『絶対戻れるから。一緒に頑張ろう』と言ってくれて」
引用:https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/584436/

といっておりました。
で、独立リーグの群馬ダイヤモンドペガサスに入団されましたね。
ちなみにその時の気持ちは

「入れてもらって、野球をやらせてもらっている。今年1年は群馬で優勝してという気持ち。トライアウトは今は考えていない。優勝争いになれば10月までシーズンが延びる。調整という意味でも、結果的にトライアウトにもつながってくる」

というものだったそうです。
ここでわかるように伊藤拓郎選手は、まだプロに戻ることをあきらめておらず前を向いておりますね。
その後2015年から2017年の3年間群馬ダイヤモンドペガサスでプレーをし2017年には最多勝利と最多奪三振のタイトルを獲得する活躍をされました。
3年間の成績は通算27勝・314イニングを投げて246個の奪三振・防御率は3.18というものでした。
怪我がなければやはり才能は凄いものがあるようですね。
トライアウトのときは138キロまで球速が落ちてましたが最近は146キロまで球速を戻しております。
そんな伊藤拓郎選手ですが一つ気になるのは高校1年のときに高校1年生の最速148キロをマークしドラフト1位候補とまで言われたのになんで9巡目などに落ち込んだのでしょうか?

 
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伊藤拓郎が現在まで伸び悩んでいる原因は?

 
伊藤拓郎選手ですが高校1年生史上最速となる148キロを記録し、世代最強投手ともいわれ甲子園に出た1年生の時には「今大会ナンバーワン投手」「現時点でもドラフト1位」と言われておりました。
そんな伊藤拓郎選手が伸び悩んだ原因は、、、、『怪我』ですね。
この1年生最速148キロが伊藤拓郎選手を苦しめていたようです。

「取材で球速のことを聞かれることが増えて、自然と自分でも“もっと速い球を投げたい”と思うようになりました」
引用:https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/584436/

というように伊藤拓郎選手も球速を追い求め、その結果2年の春に右ひじを故障。
そこからフォームを崩し、また、指導を受けていたコーチが帝京を離れたことも遠因になりパフォーマンスが上がらなかったようです。
それでも速球派を捨て技巧派になり何とか3年生のときには甲子園に出場することができたとのことです。
それでも東東京予選準々決勝の修徳高戦では7回参考記録ながらノーヒットノーランを記録しているのでやはり凄いものを持っているのは確かなようですね。
また、プロへ入団してもケガとの闘いでなかなか思うような投球が出来ておらず戦力外通告を受けたようですね。
ただ、その後は上記に書いたように復活の道を歩んでおります。
もしかすると怪我の心配されなければ伊藤拓郎選手の姿をまたプロのマウンドでみれる日が来るかもしれませんね。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。

 
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