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ミツカンお家騒動 長女と次女どちらが原因?家系図まとめ


ここ最近メディアをにぎわしているミツカン会長の中埜和英氏の件で、次女の中埜聖子氏の夫である中埜大輔が実名を使って告白したようです。
ここではミツカンのお家騒動になった内容や原因、家系図について説明します。
結局これは長女と次女どっちがお家騒動の原因になっているんですかね?


ミツカンお家騒動まとめ

 
ミツカンお家騒動まとめてみました。
売上の大きさが約2400億円、現在でも家庭用の食酢で約7割のシェアを誇るミツカンです。
中埜家が何代にもわたって経営してきた非上場の同族会社です。
現在は、中埜家の8代目当主である中埜和英・ミツカングループ代表取締役会長兼CEO(68)が経営のトップの責務を負います。

ミツカンの会長中埜和英氏の画像

和英氏は、高額納税者全国6位に入ったこともある大資産家でもあります。
しかし現在、中埜家のなかでお家騒動が発生しており、それはミツカン本体をも巻き込むほどに熱くなってきているという。
中埜和英氏の次女で、次の跡取りとして予定されている聖子氏(40・ミツカングループ専務取締役)の夫の中埜大輔が「すべては私を家族から追い出して、妻や息子から私を引き離すために画策されたことです」と言いました。
大輔氏は2013年に、次女の中埜聖子氏と結婚し、中埜家に婿として入ると同時にミツカンに入社しました。
だがしばらくして、中埜和英氏とその妻である美和副会長から、少しの事で怒られるようになったといいます。
誤解を解くために直接話したいのですが、と申し入れたら「私とお前が直に話がしたいと言える立場か!」と言われて突き放されました。
そして結婚して1年後、ミツカンを退職せよと言い渡されました。
2014年、義父母との関係がぎくしゃくしたまま英国に住んでいた大輔氏夫妻に男児が誕生しました。
中埜家にとって待ちに待った跡継ぎ誕生を境に、大輔氏への圧力はより強くなったいいます。
次女の嫁婿である大輔氏は、意にそぐわない退職勧告を受けたという内容のようです。
そして結局は大阪の物流センターに移ることになったといいます。
この異動の理由が家族化から引き離すためという理由なので、それは意にそぐわないとして名古屋地裁に仮処分を申し立てたようです。
結局2016年の裁判で意にそぐわない配転との主張を認められて異動自体は無効になったそうですが、しかし現在に至っても大輔氏は日本で家族と離れ一人で暮らしているようです。
大輔氏が最初に告発してから現在は4件の法的措置を紛争中です。
中埜和英氏は孫にあたる次女聖子氏の息子との養子縁組(後継者として縁組かもしれません)をもくろんでいます。
これがお家騒動の概略です。

ミツカンお家騒動 長女と次女どちらが原因?

 
ミツカンお家騒動を検索していると長女も出てきますが、今回のミツカンのお家騒動には長女は関係していません。
このミツカンのお家騒動には、長女は関係していなくむしろ次女の聖子氏が原因だといえます。
大輔さんが2013年に、中埜和英会長の次女である聖子氏と結婚し、中埜家に婿として入って、すぐにミツカンに入社します。
しかし、結婚するとしばらくして、中埜和英会長やその妻である美和副会長から、いろいろと言われることが増えていきます。
そして1年後にミツカンを退職しなければならないと勧告を受けます。
義理の父母との仲が険悪なまま、大輔夫妻は英国に住居を移しますが、2014年に夫婦の間に男の子が生まれると、大輔さんに対する圧力はもっと高まっていきます。
大輔さんの夫人である聖子氏が子供(男子)を産んだ時、その生後しばらくして中埜会長から「孫を私の養子にする」との声があったとされています。
現状では長女の裕子さんが専務取締役となっていますが、後継の人は次女である聖子氏就くと言われています。
そしてその次の後継ぎが大輔夫婦の息子である、とされており、教育などを早めに自らの手で行いたかったのでは、とも言われています。
なので原因は次女の聖子さんと会長の中埜和英氏となります。

ミツカンお家騒動 家系図まとめ

 
そんなミツカンお家騒動にある中埜の家系図まとめてみました。
中埜和英氏の父親は4人の子供がいました。
父:中埜政一  母:竹本ふじ
長男:中埜和英氏
次男:中埜宏泰氏
三男:中埜昌美氏
長女:中埜知子氏
となっています。
で、現在のミツカンの会長である中埜和英氏の家系図は
 

ミツカン家系図

引用:https://xn--v8j925h21mm1k73e.net/archives/18193
父は当主の中埜和英氏、母は西野美和氏です。
それと長女裕子氏と次女の聖子氏、聖子氏の夫である中埜大輔氏となっています。
大輔さんの夫人である聖子さんが長男を産んだ時、前述したように、その生後4日後に中埜会長から「孫を私の養子にする」との言葉が夫妻にかかった、とされています。
また中埜大輔氏によると結婚した時点で、妻聖子氏が引き継ぐであろう遺産の夫婦の部分を放棄しています。
つまり離婚して相続が発生しても共有財産だから半分もらう事はできなくなっています。
そして結婚後、長男が生まれると中埜和英氏との養子縁組をするように言われます。
いうがままに書類を提出したようですが、その後中埜大輔氏が不受理届けを提出して養子縁組はされていません。
そして現在は中埜和英会長側についている妻で専務の聖子氏と離婚訴訟中のようです。
お酢で有名な「ミツカン」でのお家騒動について説明しましたが、法的措置をしている部分も含め問題は長期化しそうです。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。

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