スキージャンパーで日本国内では葛西紀明さんや高梨沙羅よりもしている優勝しているといわれているのが秋元正博さん。
そんな秋元正博さんですが現在は何をされているのでしょうか?
また、人身の交通事故を起こして逮捕されておりました。
その影響か競技復帰後もオリンピックへの出場は辞退されておりましたね。
その後の復活エピソードも見てみたいと思います。
ちなみに政治家転身をされたんでしたっけ?
秋元正博の現在は政治家転身?
1970年代後半より1980年代中盤にかけて日本スキージャンプで活躍されていた人が秋元正博さんになりますね。
そんな秋元正博さんの現在ですが何をされているんでしょうか?
秋元正博さんは現役引退後の2005年に鈴木宗男さんに請われて新党大地の副代表になりました。
ただ、議員にはなれなかったようです。
政治家へ転身しようとして失敗した感じでしょうか。
ただ、現在は新党大地のHPに秋元正博さんを見ることが出来ませんから、政治の世界から身を引いたのかもしれません。
ちなみに秋元正博さんの試合成績は内外試合通算88勝(世界記録)・社会人68勝。
シーズン15勝(うち11試合連勝)、80年レークプラシッド五輪70m級( 現ノーマルヒル)4位となっております。
現時点では世界記録の88勝という驚異の記録を残しております。
ただ、高梨沙羅選手が抜きそうな気もしますね。
秋元正博の人身交通事故からの復活エピソード!
秋元正博さんはサラエボ五輪の2年前に人身事故を起こしております。
事故の原因までは調べてもわかりませんでした、その事故で人が命を落としており逮捕されております。
その為、競技を1年間出場停止処分を受け、その1年間は練習をほとんどせず当時所属していた地崎工業で働いていたそうです。
「秋元は現役時代二度「地獄」を経験している。
一度目は、車で人身事故を起こした時だった。その時25歳だった彼は1年間の謹慎処分を受け、毎日禅寺に通ったという。
会社も復帰に向けて取りはらってくれ、また、亡くなった人の遺族からの嘆願書が出されたこともあって、1年後に現役復帰がかなえられたが、これで終わりかとあきらめかけたこともあったそうです。」
引用;http://lang-8.com/140977/journals/88942600282156214795881317356781831845
こういう経緯があり謹慎明けサラエボ五輪のときは国内の試合のみに出場が許可されておりました。
そこで文句なしの結果を出しておりましたが、秋元正博さんはサラエボ五輪の出場を辞退しております。
これに対して秋元正博さんは今まで真相は語っておりませんが、なんでもスキー連盟、JOC、文部省などの筋から圧力があったとも言われております。
ちなみにこれに対しては今も話されておりません。
事故の原因がなんによるかもしれませんが、やはり人身事故を起こした人は一生背負うことにはなっておりますね。
ただ、その後の札幌で開催されたW杯でサラエボ五輪の90m級金メダリスト・銀メダリストを打ち破って見事優勝しました。
ちなみにサラエボ五輪のときの日本は3位にも入っておりません。
ただ、その後秋元正博さんにまたも悲劇が訪れます。
秋元正博の大けがからの復活エピソード!
秋元正博さんが海外遠征ができるようになった1986年の3月のフライング選手権で空中に飛び出した瞬間突風にあおられて転倒。
その事故で右足首複雑骨折という大けがを負いました。
ちなみにこういったジャンプ競技での事故の場合、ジャンプする際の恐怖心や事故の肉体的な後遺症で選手生命がたたれることもあるそうです。
けれど、秋元正博さんは不屈の闘志でリハビリを続け、恐怖心を克服し競技に戻ってきました。
ただ、秋元正博さんの右足は骨折の後遺症で思うように前傾できなくなっており、クラウチング姿勢(前傾姿勢)で滑り出すジャンプにとっては不利な条件です。
それでも右足よりも左足を後ろに位置させるなどいろいろ工夫して、何とか上位をキープしていたそうですが、カルガリー五輪の代表には選ばれずそこで競技人生を終えたそうです。
1度目の事故での謹慎は仕方ないことですが、2度目の怪我は結構悔やまれますね。。。
ただ、それでも諦めなかった気持ちは消えた天才の中でもなかなか持ち得ていなかったものだと思います。
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それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。
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